西暦二千十七年十一月五日

 

秋の空からやってきた黒尽くめの男三人、レジに向かってなにごとか唱えているのはここの管理機械つまり店長に直訴しているらしい。三時のファミマの駐車場に車は一台しかなくそれは従業員のものだろう。男たちの願いの声はますます大きくがなり立てるくらいになって、どうやらコンビニに温泉を付けてくれ、だだっぴろい駐車場を掘って源泉掛け流しをやってくれいと懇願している。ちゃんと日本語じゃん。わたしはその時外のひさしの下で新しくなったファミマの肉まんを食べながら聞き耳をそばだてていた。コンビニ肉まんの序列では最下位あたりをうろちょろしていたはずのファミマの肉まんはしかし気合を入れ直した結果セブンの中村屋製に迫るほどのクオリティに達していたのだった。黒尽くめの方はどうなったかと言うと、やっぱりその黒尽くめは衣服を脱いでも黒尽くめで、つまり全身に刺青が施されていた。これがね、出生時のアカウントでしょ、でこっちがクレカ1、クレカ2、3、その他もろもろ。これが中二病だったときのただの絵、傑作ナンプレ、おでこだけ素で黒くてこれプレミアもんの皮膚でさ、結婚指輪のシリアルもあるよ、こっちが転換後のパス。全身黒尽くめの皮膚をした男はシャツを脱いでもどかしそうに背中の二次元コードを指差した。ピっ、とな。お貯めしてよろしいですか、レシートはいりますか。結局店の外からではなんと言っていたのか、聞き取れたのはあまりに断片的な内容で、これでもどうにか脈絡を整備した結果なのだ。とにかくあの刺青じゃ温泉は諦めるしかないけれど、わたしは特に気にしないです。

 

生活があまりに無のため、半醒半睡のときの、自分でなかったときの体験を書くほかない。ペソアも宇宙のように複数であれ! と言っていて、しかしよく考えてみればポルトガル語における宇宙は uni なんちゃらのはずで*1、ワンネスの極みたいな単語を使った文章としてはかなり異常ということがわかる。ただちに複宇宙を想起させる響きもある。これはアカウントをたくさん作るみたいな話で、カフカ箴言集なんかもそうだけどめちゃくちゃツイッターっぽさがあるとはほうぼうで言われてはいて、捉え方としてはあれから百年ほどでどうしてかやりやすくなった。どうでもいいですね。

*1:Sê plural como o universo!