西暦二千十七年十月二十四日

何もしていない。

 

warframe はいちばん欲しかったフレームを入手して全クリ感が漂ってきた。warframe のゲームプレイ自体はちょっと速いごくふつうのTPSなんだけど全部のビジュアルがはちゃめちゃに良くて退屈なハクスラ要素もまったくダレない。

 

棒を握ったりしていた。ふだんの生活でもっとも棒に近いものはペンだろうか、しかし頭をノックできたりキャップが外れたりネジ式になっていたりしてちょっとどうも。そこいくとお箸なんかはいい線いっているようにも思うがあれは二本一組であってはじめて一膳と言う、ので別枠だろう。だから棒は諦めて、棒もとい針と対になるのはレム・コールハースの建築語彙を借りるならば球となる。球。おやおや、われわれの生活に球を握るというシーンはあまり登場しないことに気付く。林檎一個丸かじりなどはどこぞの死神ではないからそう頻繁にあるわけではない。電脳は板状で、その形状がどこから出てきたかと言えばそれは本か。文字読んだり写真を眺めるのに球状では具合が悪い。具合が悪いからそれは呪いの道具にもなって水晶玉は丸い。だいいち鞄の中で容積をとりすぎる。残念ながら乳房を握るような生活はしていない。椀は惜しいとしても結局のところあれは何かを載せる湾曲した板にすぎない。おれは悲しい。や、あれだ、というかこれがあるじゃん。足もと、われらの母星が! あ、いやそんなものはとっくに無いことを失念していた。この土地というのは人工天体のひとつで、技術を維持する気概に欠けた種族を収容するために造られたエコシステムは回転する破壊不能材の円筒に大気が押し付けられて、木漏れ日模様も◯じゃなくて - こう。回転軸に沿って浮かぶプラズマチューブを透かして向こう側の街なみがおぼろげに見えたり見えなかったりする。どこもかしこも棒ばっかだな、肉眼で陽針を見ちゃいけないってお母さんに教わらなかったのかよ。

 

なんだかんだと集団行動を一日じゅう聴いていた。耳に残らないとは言ったがそれが癪で、しかし何度も聴けばなんだって耳には残って結局敗けた気分が最後に残る。

 

小銭しかないのでちょっと遅めのお昼をパン屋で見繕った。老朽化した駅ビルの一角にあるお店で、街を歩くたび眼に入りはしたもののこれまで這入る機会がなかった。カレーパンは冷えてたけど揚げてからまだ一時間くらいしか経っていないのは衣の具合でわかる、おいしかった。身体改造主義者のおばさんが店主をやっていて、ヒマそうにぶら下げた第三、四腕は明らかにパン捏ね用、球の支配者はここにいたのだ。うらやましいなと店内を見回してみてもアルバイト募集の張り紙はしていないようだった。お金がほしいです。

 

夕期にはこらえきれなくなって少女終末旅行のアニメを観た。言うまでもなく良い、球あるいは餅の記録、BGM はじゃま。日記もたまれば本みたいなもの、だって。

夜期には Netflix でナルコスを観る。おもしろい。地球脱出時に誰かがインターネットのデータをまるまる持ってきてくれたのには感謝している。リアルかどうかは知らない、舞台になった星からどれだけ離れているのかもわからないからあんま関係ない。とりあえずここは天の川銀河でないことだけは確からしい、一体いつごろからこんな生活をしているのかどう頑張ってみても思い出せないのは、生物学的寿命なんかとっくに克服したわたしたちというかおれがアニメ全部観て飽きて行きつけの精神科のカモノハシみたいな顔した先生に忘却処理を何度もしてもらったせいなのか、こないだ街の人間を片端から捕まえて「18780 日前お前は何をしていた?」と訊いてみても何だお前はとかんなもん覚えてないですなどとみな応えるばかりで、人間の記憶力が年々弱くなってきているというのは事実なんだろう。

 

宝石たちとインターネットのドラマを観るのが目標です。

 

明日に続く。