西暦二千十七年十月二十二日

雨。車で人を送迎、自動車に乗ると車も人も敵になった。フォード絶対許さねー。投票はした。ユポ紙の書き味(あじ? み?)以前にまず鉛筆で筆記するというのに指が慣れていないのでそちらのほうがかえって新鮮だった。

 

聞いた。

33. セキュリティ研究職ntddkのやっていき 後編 | yatteiki.fm

オタクの早口はやはり脳に良い。そして断絶も感じた。

オタクのノスタルジー。全体的に正論で、正論でしかない。いい加減にしろやという思いとうらやましいなとの思いが高速回転していた。

他人に届く届かないにはあまり興味がないので途中から何を言っているのかわからなくなった。かつて通用していたテキストテクニック? 一体何と戦っているんだ。視えないものが視えるようになるほどインターネットしたことない。

特殊なノスタルジーで連帯した部族。それでも表面的には生息圏を共有しているようなのは面白い。たぶん、こちらの方が迷い込んだだけなのだろうが。敵対が可能、との思いも去来したがその必要もない。これはもう癖みたいなものだが、人間が盛り上がりを見せていると茶々を入れたくなってしまうのはただの癖というよりもそういうシステムの一部を担っているだけかもしれず、自由意志はなさそうと自分でも思う。一方で、ある空間の中で反対賛成をしても同じことではないかという気もする。まあとにかくこのようにして連帯に失敗し続けている。

東方はぜんぜん知らないが、たぶんいつの日かごくふつうに入門するのだと思う。なぜなら人生に区切りがないから。

やるやらないの話をするならば、まあ勇壮ですことなどと言ってヘラヘラする他はない。かなしい。気持ちは長命者で、おれがほんとうの宝石の国だ。

 

本を読んでいない。人には本読めない期というものがあって、そのこと自体はどうせただの暇つぶしなのでどうということはないのだが、いつどういったきっかけでなるのか治るのかわからないのがストレッサーとなっている。

テルリアについては面白すぎて進まないということにしておく。タリバンを撃退したケルンでひさしぶりにカーニバルをやる話があって、愛国の人たちにインタビューする場面でみなさん指輪物語の語彙でしか話ができないという本質的な描写があってびっくりしてしまった。この話はあんま関係ないです。

 

アニメを観ていない。人にはアニメ観れない期というものがあって、はい。

メイドインアビスは六話かそのへんで止まっている。あの靄が始終かかったような原作のコマをどうするのかと思えばシャープで鮮やかな画面になっていて、瑞々しい気持ちでアビスへ再訪することができた。原作付きなのだからお話と人物だけじゃなくてアニメーションとしてどうなのかという話をもっと見たい。お前はいっつも欲しがってばっかだな。嘘です、何も見たくない。

少終旅はまだ一話も観ていない。どうせいいに決まっているので十年後に観ると思う。そのようにしてゼロ年代アニメを観てきた。

宝石の国、色の暴力を受けた。そもそもモノクロの媒体で宝石たちの話をするのが異常でだからこそ、という話もある。モデルの動きがぎこちないというのは事実としても瑕疵かどうかは微妙で、彼らは人間ではない。だってあれ首から下はコピペなんだぜ。まだ最新話観てない。


集団行動を聴いていた。

相対性理論完結編の始まり。いつもどおりペンタトニックのフレーズに、今回はけっこう歪ませてもいる、例のアルペジオもまんま署名されており始終ニコニコしていた。またカラオケ感のあるボーカルどっから拾ってきたと思い調べてみると、これがミス id のファイナリストだったのでかえって驚きは少ない。しかも顔の良くて(この言い方はよくない)ちょっと声の低い高密度な無という人材である。集団行動加入前は家にCDが二枚しかなかったらしい。顔のいい無が動いているとドキドキするというのは事実で、人の世界の地盤をばりばり砕くようなところがあり、ときめきではなく破壊の音がする。どきどき。盛り上がっているところすみません、歌に顔はないよ。

曲そのものはあまり耳に残らない。王道をしたいと言っていたような気がする。王道ってそういうことなの?

 

はてな id てこれ先頭は数字使えないのか。