西暦二千十七年十一月九日

閑静な住宅地に十年くらい住んでいる。閑静な住宅地にも来歴というものがあって、ほとんどどこでもそうであったように農村が区画整理された場所に人間が移り住んでは殖えてきた。ほとんどどこでもそうであるように、畑が飛び散った墨汁のように残って、その土地の所有者は同じ苗字ばかり豪農の分家であるらしい。登下校の時間帯に当たらない限りは老人しか動いているのを見ない。

イオンに行くには車が必要。街といえば電車で二駅離れたところにバブル期の名残でそこそこ大きいのがあるのもこないだ百貨店がひとつ潰れた。実態は飲み屋街で、さいきんはちょっとお洒落な小さいお店の街という方向性になってきているようだ。この感じを東京のどこかで例えてみたかったが、使っていた定期券は山手線の東半分しかカバーしなかったのでよくわからない。

ぐだぐだ書いてみたのはツイッターだからで、ベッドタウンの閉塞感みたいなことを言うつもりもなく、どこでも何もしなければ変わり映えはしない。金がない。ここのところQUO カードで飲み物と軽食を買うくらいの消費活動しかしていない。安めしばっかだと太ると聞く、それにしても一日の必要カロリーに届いていない日が続いている気がする。


眠れないのでストラテラを半年ぶりに飲んだ。覚醒剤の弱いやつだろ、と詳しい向きにはつっこまれるかもしれない。ストラテラというのは変な薬で、人によってかなり効き方の実際が違うらしい。わたしの場合、確かに気合を入れればそこそこしゃっきり動けるようにはなる、一方で気を抜くとすぐに意識が無くなる。要するに覚醒レベルがピーキーになる。普段のお前は半醒半睡だと言われているようで落ち着かないというでもなく、まあそれはそう、そうなので酔生するうちぽっくり夢死しかねない、なら良かったがそう単純なことにはならなくて残念。というわけで薬は飲まなくなってしまった。眠れないのだって気にしなければ、昼間に動いたりしなければ特に問題はない、問題などないのが本来なのに、ということでもある。


寝落ちするまで書く。


すべての段落末尾にだからなんだと付け加えたくなる。すべての行動の後にだからなんだと付け加えたくなる。何もしていない。鬱ですらない。中途半端に神の祝福とかを心の底で実感してしまったのが原因かもしれない。


どういう類の感情を惹起するか分かりきっているものはその強さに関わらず、もしかすると強ければ強いほど摂取……という体勢になってしまって疲れる。あんまりデカい声で言われるといらつきもする。女が女に向ける巨大な感情とはなんのことですか。


お水を飲んだ。足の裏が湿ってきたので寝ようかな。明日に続く。


携帯機で書くとフォントサイズ変わるのやめろ。