西暦二千十七年十月二十八日

I've seen things you people wouldn't believe.
Attack ships on fire off the shoulder of Orion.
I watched C-beams glitter in the dark near the Tannhauser gate.
All those moments will be lost in time... like tears in rain.
Time to die.

落命。白いハトが手をすり抜け飛び立っていく。

 

しかし実際の撮影では、ルドガー・ハウアーの放した手からハトは飛び立たず、その場でじっとしていたという。まあそんなもん。この独白が戦慄するほどの美しさを湛えるのは、虚空に浮かぶ絢爛な冒険のイメージは一片たりとも画面に登場することはなく、全部が嘘にしか聴こえないからだと理解している。だってそうだろう、作品設定上でも、アンドロイドの記憶を担保するものはなにもない。けれどロイ・バッティが持つ嘘のような本当のようなそれを、人間に対するアンドロイドの、現実に対するフィクションの優越として叫んだということであれば、それは勝利宣言に他ならない、ということで合っていますか? お前には聞いてない。

一方ブレードランナー2049 での顛末というのはつまり、Kはジョーではないし最初からデッカードのお話とは関係がなかったのだし、最期に何も残らず、積もる雪の色が漂白していく、あれはむしろ[任意のスタッフ]の反抗心だろ、ということ。同様の勝利宣言は成されたと言ってもよいが、ロイ・バッティの時にはなかった疲れが支配的となっている。衰微の感覚、と言ってもよく、それは斜陽の種族人間への共感も少しだけあるのかもしれない。人間なんてウォレスくらいしか出てこなかった、そのウォレスにしたってあのスペオペ的なものへの憧れはロイ・バッティを継いでいるのだ。だからもう、最初から勝たれていたということ。余計な回り道をしたのだから、それは疲れる。疲れたのだから当然、最後は眠っておしまい。

 

おれも寝るよ。明日に続く。